この記事を読んでいる方の多くは日常生活または仕事の場において「あんたホントロジカルじゃないわね!!」と罵られ、自分の思考能力への信頼を失っていることでしょう。
大丈夫です。この記事を読み切れば「ロジカルじゃないって言ったやつがロジカルじゃないんだ!」ってことをロジカルに伝えられるようになります。ではいきましょう。
ロジカルってなんだ?
そもそも「ロジカル」ってなんですか?
「論理的思考」とか「物事を体系立てて考える能力」みたいに言われます。
では、論理的思考って?物事を体系立てるって?具体的にどういうことかわかりますか?
「論理」を辞書で調べると「物事の筋道」とか「物事の法則的な繋がり」って出てきます。
これを簡単にまとめると、論理的とは「一つ一つの出来事が、原因と結果の関係が明らかになるように繋がっている状態」になる訳です。
例えば「お腹が減った、だからご飯を食べる」というのは論理的な文章になるんですね。
でも、この例を見ても分かる通り、普通に生きているならばどんな人でも「原因」と「結果」をつなげるように考えて話します。つまりほとんどの人の通常の思考がすでに「ロジカル」なんです。
にも関わらず、「ロジカルでない」という屈辱的批判を受ける人があとを絶たないのはなぜでしょうか?
「ロジカルでない」=「会話のルールが合わない」
ロジカルでないと指摘されるタイミングは
「自分が頑張ってなにか伝えようと話をしたとき」
がほとんどです。相手からしたら「こいつ何話してんのか話がアッチャコッチャ飛んで全然わかんねーよ」という気持ちになっているときに、そのストレスを解消するために「ロジカルじゃない」という言葉を使うんですね。
つまり、「ロジカルじゃない」=「話が伝えられない」という構図が成り立ちます。
では、話が伝えられない原因はなんでしょうか?
原因1:認識の切り口が人と違う
例えば、「嵐の大野智と似ている芸能人」と言われて誰を想像しますか?
多くの人が「藤原竜也」を思い浮かべたでしょう。そっくりですよね、あの二人。
でも、「キングコング西野亮廣」のほうが似ていると言ったらどう感じますか?
全然顔は似ていませんね。
でも、この二人には「芸能活動の他に創作活動に力を入れ、むしろそっちのほうが才能がありそう」という共通点があります。
こう言われると、たしかに似ていると思うでしょ?
つまり、「似ている」って単語一つとっても「どの部分が?」というもう一歩踏み込んだ情報が必要になるわけです。この「どの部分が」を選択する感覚が人と同じ場合が多い人はそんなに苦労しませんが、人とずれる場合が多い人は「なんでそんな考えになるの?」と思われるわけです。変人扱いってやつですね。
なので原因の一つ目は「認識の切り口が人と違うこと」です。
原因2:因果関係の前提が人と違う
普通の大人であれば、下の問題の答えが「3」なのは一瞬でわかるでしょう。
日本人は義務教育で中学校3年生のときに「三平方の定理」というものを習います。だから、この条件で「a=3」になるのは当たり前のこととして話ができます。
でも、三平方の定理を知らない子どもにはこの常識は通じないですよね。「なぜa=3になるのか?」を説明してあげないといけない。
これと同じレベルの話が大人にも潜んでいます。
たとえば移動経路の選択。多くの人はアプリやGoogleMAPを使って最短ルートを検索します。でも、「以前アプリの指定と同じ経路を使ったらとても混雑した」とか「GoogleMAPのルート」だとありえないくらい狭い道を通された」という経験をした人は、推奨ルートとは別の道を選ぶでしょう。
この推奨ルートと別の道を通るときに、自分が知っている情報を他の人と共有しないと「何だこいつ?」と思われてしまいます。わざわざ損する道を選んでいるように見えますからね。
だから、相手に説明するときには自分が持っている前提条件を相手に共有しておかないといけません。
2つ目の原因は「因果関係の前提が人と違う」ことです。
原因1・2が複合的に混ざり合い、会話が噛み合わない
原因1・2は複合的に混ざり合っている場合が多いです。
「物事の捉え方の切り口」と、「考え方の原因」の前提条件がずれているので、相手の論理に当てはめると理解不能な動きになります。
よって、ロジカルでないということは「前提条件がずれているせいで、会話が噛み合わない」ということです。
噛み合わないのはどちらのせい?
ここで一つ質問です。
「前提条件がズレているから話が噛み合わない」のは、「ロジカルじゃないと言われた人」のせいですか?それとも「ロジカルでないと言った人」のせいですか?
一対一ではお互い台頭な立場ですよね。つまり「お互いが相手の常識からズレている」状態です。
では、大人数の中で自分だけ認識がズレている場合は、ズレている人が悪いですか?それでは多数決こそが世の中の正しい意見になってしまいますよね。(多数決が善悪を決めないことはみなさんおわかりですか?)
つまり、「ロジカルでない」とは前提条件の共有を正しくできていないことで、その責任はお互いにあるので、「ロジカルでない」と責めた時点で、言った人も「ロジカルでない」ことになります。
なので、「ロジカルじゃないって言ったやつがロジカルじゃないんだ!」と言えるわけですね。
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