井畑です。
「自分には能力がない……」こう思った経験はありませんか?すごく優秀な人を見ると「自分はあんなセンスをもって生まれなかった……」と思った経験は?
ですが、僕たちが日常生活でうらやましがるような能力は、ほとんどが「後天的」なものです。一流と呼ばれる人たちや、ビジネスで結果を残している人は全員、人の何倍も努力しています。
僕たちと一流の人たちの間にあるのは「壁」ではなく「距離」です。追いつくのは大変ですが、必ず追いつけます。
お客様に「僕はこうやって上手くいきました」と自分が習慣化出来たことについて説明すると、よく「それは元々才能があったから出来るんですよ〜」と言われる。ブログなんかはその典型。
でも、僕は中学校では落ちこぼれだったし、高校3年生の時の偏差値は38だった。
— 井畑太佑 Key-Performance inc. (@ihata1567) May 28, 2020
一流と呼ばれる人たちの中に、本当に生まれ持ったセンスだけでやっていっている人はいない。
みんなものすごい努力を積み重ねて一流の世界で戦っている。凡人と天才の差は「結果が出るまでやっている」かどうか。
凡人は努力をしたくないので、「生まれ持ったものが違う」という言い訳をする。
— 井畑太佑 Key-Performance inc. (@ihata1567) May 28, 2020
センスは努力に対する「倍率」でしかない。
「能力」と「センスを」式にするとこんな感じになると思う。
(努力+努力+……+努力)✕センス=能力(才能)
センスのある人は同じ努力をすれば人より早く能力を伸ばすことが出来る。
でも、センスって変化しないから、能力を伸ばすためには「努力」が必要。
— 井畑太佑 Key-Performance inc. (@ihata1567) May 28, 2020
「センス」というものは存在します。同じことやっても自分よりずっと上手くやる人を人生でなんども見ましたよね?その度に「自分にはセンスがない…」と落ち込んだことはありませんか?
ですが、センスが能力の全てを決めているわけではありません。僕は人間の能力にはこんな数式が当てはまると思っています。
(努力+努力+………+努力)✕センス=才能
センスのある人が早く結果を出すのは明らかです。努力に対しての返ってくる結果が違うんですからね。
でも、考えてみてください。例えば強豪の野球チームにはだいたい「エース」と呼ばれる人がいます。でも、その人は他の部員と同じ練習をして、2倍も3倍もうまくなるでしょうか?おそらくは「1.2倍」くらいなもんじゃないですか?
自分の苦手な分野と他人の得意な分野で比較すると大きな差になりますが、日常的にやっていることや、自分の得意分野に的を絞れば、センスの差なんて実は大したことありません。
短期的には「センス」が能力だと勘違いしやすい
「能力」=「センス」だと勘違いされやすいのには理由があります。
先程の式、努力の量の差が少ないと、センスによる差の方が大きく見えます。学校の部活とかそうですよね。みんな基本的に同じ練習をしているから、差は生まれにくい。
努力の総量が少ない短期的な視点で見ると、たしかに「能力」=「センス」なんです。
でも、ずっと同じことを続けている人はどうでしょうか?人が他の事をやっている間にもずっと努力し続けたら?他の人との努力の差はどんどん大きくなっていきます。結果、センスではせいぜい「1.2倍」程度しかつかなかったはずの差が、5倍にも10倍にも跳ね上がります。
むしろ、長期的な視点で見れば「努力の総和」の方が「センス」よりもはるかに大きな影響力をもっている。
凡人と天才の差は「努力し続けられるかどうか?」ってよく言う話だけど、すごく的を射た表現だと思う。
— 井畑太佑 Key-Performance inc. (@ihata1567) May 28, 2020
凡人が天才になるためには「習慣」が必要。
自分の事をセンスがないと思うなら、その分「努力」の量を増やさないといけません。
僕は高校3年生の時に「よし、大学は筑波大に行こう!」と思ったのだけれど、その時の偏差値は38。
でも、僕はアホだったので、「地域でトップの土浦一高の奴らに勉強量だけは負けないようにしよう!」とめちゃんこ勉強しました。
結果、その年の入試は全敗だったけど、次の年に早稲田に受かった。
— 井畑太佑 Key-Performance inc. (@ihata1567) May 29, 2020
でも、受験生は「受験勉強だけしてればいい」みたいなところがあるけど、大人になるとなかなかうまく行かないですよね。
そもそも他のことが忙しかったり、疲れていると「やったり、やらなかったり」な日々が続いてしまいます。また、経験を積んで賢くなった分「こんなことやっていて、意味なんかあるんだろうか……」と不安に思ったり、結果を得るために必要な努力の量に先に気づいてしまい、行動出来なくなったりします。
だからこそ、大人の努力に必要なのは「習慣」なんです。
無意識にやってしまうことを「習慣」という。
僕は最近夜と朝二回シャワーを浴びます。夜はちゃんとした「入浴」としてのシャワーなので、頭も体もしっかり洗います。朝のシャワーは「目を覚ます」ためのシャワーなので、歯磨きと洗顔だけで済ませることにしているんです。
でも、朝のシャワーでボーッとしていると、気がついたら頭洗ってるんですよね。シャワーを浴びると頭を洗うというのがいつもの流れなので、無意識に次の動きが始まっています。
この、ボーッとしても無意識にやってしまうことを「習慣」といいます。
忙しい大人が何かの分野で努力を積み重ねようと思ったら、習慣にしてしまうことが一番です。意志のちからで何かを頑張ろうとしても、失敗してきましたよね?
ここでは習慣化の方法については割愛しますが、興味のある方はこちらの記事をごらんください。
//key-performance.jp/a-sense-of-self/
まとめ:凡人と天才の差は「やり続けられた」か。
センスは能力に対する倍率でしかなく、天才と凡人を分けている本当の差は「努力」を「やり続けたれた」かどうかです。
そして、大人が努力を続けるためには習慣化するのが一番。
みなさんも、「自分はセンスがない」と諦めるまえに、もう一度努力を積み重ねてみてください。
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