能力は「センス」でなく「習慣」によって身に付く。嘆く前にまず行動。【習慣の科学】

井畑です。

 

「自分には能力がない……」こう思った経験はありませんか?すごく優秀な人を見ると「自分はあんなセンスをもって生まれなかった……」と思った経験は?

 

ですが、僕たちが日常生活でうらやましがるような能力は、ほとんどが「後天的」なものです。一流と呼ばれる人たちや、ビジネスで結果を残している人は全員、人の何倍も努力しています。

 

僕たちと一流の人たちの間にあるのは「壁」ではなく「距離」です。追いつくのは大変ですが、必ず追いつけます。

センスは努力に対する「倍率」でしかない。

「センス」というものは存在します。同じことやっても自分よりずっと上手くやる人を人生でなんども見ましたよね?その度に「自分にはセンスがない…」と落ち込んだことはありませんか?

 

ですが、センスが能力の全てを決めているわけではありません。僕は人間の能力にはこんな数式が当てはまると思っています。

(努力+努力+………+努力)✕センス=才能

センスのある人が早く結果を出すのは明らかです。努力に対しての返ってくる結果が違うんですからね。

 

でも、考えてみてください。例えば強豪の野球チームにはだいたい「エース」と呼ばれる人がいます。でも、その人は他の部員と同じ練習をして、2倍も3倍もうまくなるでしょうか?おそらくは「1.2倍」くらいなもんじゃないですか?

自分の苦手な分野と他人の得意な分野で比較すると大きな差になりますが、日常的にやっていることや、自分の得意分野に的を絞れば、センスの差なんて実は大したことありません。

短期的には「センス」が能力だと勘違いしやすい

「能力」=「センス」だと勘違いされやすいのには理由があります。

先程の式、努力の量の差が少ないと、センスによる差の方が大きく見えます。学校の部活とかそうですよね。みんな基本的に同じ練習をしているから、差は生まれにくい。

努力の総量が少ない短期的な視点で見ると、たしかに「能力」=「センス」なんです。

でも、ずっと同じことを続けている人はどうでしょうか?人が他の事をやっている間にもずっと努力し続けたら?他の人との努力の差はどんどん大きくなっていきます。結果、センスではせいぜい「1.2倍」程度しかつかなかったはずの差が、5倍にも10倍にも跳ね上がります。

凡人が天才になるためには「習慣」が必要。

自分の事をセンスがないと思うなら、その分「努力」の量を増やさないといけません。

でも、受験生は「受験勉強だけしてればいい」みたいなところがあるけど、大人になるとなかなかうまく行かないですよね。

 

そもそも他のことが忙しかったり、疲れていると「やったり、やらなかったり」な日々が続いてしまいます。また、経験を積んで賢くなった分「こんなことやっていて、意味なんかあるんだろうか……」と不安に思ったり、結果を得るために必要な努力の量に先に気づいてしまい、行動出来なくなったりします。

 

だからこそ、大人の努力に必要なのは「習慣」なんです。

無意識にやってしまうことを「習慣」という。

僕は最近夜と朝二回シャワーを浴びます。夜はちゃんとした「入浴」としてのシャワーなので、頭も体もしっかり洗います。朝のシャワーは「目を覚ます」ためのシャワーなので、歯磨きと洗顔だけで済ませることにしているんです。

でも、朝のシャワーでボーッとしていると、気がついたら頭洗ってるんですよね。シャワーを浴びると頭を洗うというのがいつもの流れなので、無意識に次の動きが始まっています。

この、ボーッとしても無意識にやってしまうことを「習慣」といいます。

 

忙しい大人が何かの分野で努力を積み重ねようと思ったら、習慣にしてしまうことが一番です。意志のちからで何かを頑張ろうとしても、失敗してきましたよね?

ここでは習慣化の方法については割愛しますが、興味のある方はこちらの記事をごらんください。

//key-performance.jp/a-sense-of-self/

まとめ:凡人と天才の差は「やり続けられた」か。

センスは能力に対する倍率でしかなく、天才と凡人を分けている本当の差は「努力」を「やり続けたれた」かどうかです。

そして、大人が努力を続けるためには習慣化するのが一番。

みなさんも、「自分はセンスがない」と諦めるまえに、もう一度努力を積み重ねてみてください。

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